おっちゃんとの出会いから現在に至るまで 

子供達が見ていた「犬夜叉」というアニメの音楽に惹かれ、作曲家・和田薫さんのHPを訪れたのが全ての始まりです。当時、まだパソコンを始めて間もなしだった私には何もかもが目新しく、皆さんの熱心な書き込みと話題についていくのに必死でした。そんな和田さんのBBSに登場したおっちゃんに対して、誰かが「○○の曲を演奏されてる旭さんですよね?」ってなことを書き込んでて、「へぇ〜そんなに有名な人なのか…」と、おっちゃんのHPを覗き始めたのが2001年の8月末ごろでした。でも、その頃はまだ、趣味の無線関係の話題が中心でしたね。

その後、少しずつ頻度を上げて覗きにいくようになり、ついに同年の11月に入ってすぐ、初めての私信メールを出してみることにしました。その初メールのお返事は驚くほどすぐにくれ(お返事なんかもらえないかも…とも思っていたので、ほんとにビックリ!)、それが嬉しくてまた私からお返事を出すと、おっちゃんも忙しい中でもまたそのお返事をくれ…といった感じで、わずかな期間に何度もメールをやりとりすることになりました。そのメールの中で、おっちゃんは無線や音楽やスタジオでの話など、本当に色んな話をしてくれたんですよ。

で、 そうこうしてるうちに和田さんの初のオフ会が開かれることになり、私は「どうせ東京まで行くなら、旭さんにも会えたらいいなあ」と、思い切って和田さんのオフ会に誘ってみました。それをオフ会の幹事さんに話すと「えぇーっ!あなた、あの旭さんとメールしてるんですかーっ!?」と驚かれ、私は「あの旭さん…だなんて、私は何も考えずに気軽に楽しくメールしてたけど、実はそんなにヤバイ人だったのか…」と、遅ればせながらビビッた覚えがあります。

結局、和田さんのオフ会には都合で参加できなかったおっちゃんですが、オフ会の当日には私の携帯に「今ごろは盛り上がってるんでしょうね。和田さんや皆さんにどうぞよろしく♪」とのメールを入れてくれてました。そんな細やかな心遣いに惹かれたのと、オフ会での様子を色々と報告するというのがキッカケで、PCと携帯を駆使してますますメールのやりとりは盛んになりました。そして、いつしかBBSでも話すようになり、そこへ和田さんのHPから流れてきた友達も加わり、おっちゃんちのBBSは1日覗かないとついていけないくらい賑やかになりました。その掲示板の中で、おっちゃんが参加した色んな作品の話や録音時のエピソードが出るんですが、アッという間に「過去ログ行き」になってしまうんですね。 それを惜しいなぁと思ってたのと、何人かの友達から「協力するから作りなよ〜」と背中を押されたのがキッカケで、おっちゃんの参加作品リスト作成の運びとなりました。これが、2002年10月2日のことです。

その後、そのリスト作成の作業を進めていくうちに、「おっちゃんのことをもっと知りたい」「スタジオミュージシャンって、どんなお仕事?」「あの音楽はどうやって作られたの?」みたいな疑問が山のように生まれて、あの「おっちゃんの仕事場探検」ページができました。そして、いつしか「そのスタジオには、他にはどんな人がいるの?」「おっちゃんって、業界の中ではこんなに有名な人なのに、何で一般にはほとんど知られてないの?」「いや、一般の人もおっちゃんの音色だけはよく知ってるはずだから、これからはおっちゃんの存在そのものを知ってもらいたい」「皆が気軽に楽しんでるテレビ番組や映画の音楽は、実はこんなにすごい人たちが、こんな風にして作ってるんだよ〜!」なんて気持ちになってきて、今のような「仕事場探検レポ」に進化してきました。このあたりのことについては、別項の「はたらくおっちゃん 2周年によせて」も読んでみてくださいね。

あ、最近は業界の方もたくさん見に来てくださってるそうなので、ここで一言…私は、業界の中ではどんなに大先生と呼ばれてる方でも、あえて「〜さん」で呼ばせていただいてます。これには、どの方も私にとってはほんとに素晴らしいと思える方たちばかりで、自分の気持ちに差をつけたくないなあと思ったのと、レポを読んでくださってる一般の人たちが「先生」という呼び名で距離を感じてしまわないように…という思いがあります。中には、こうした馴れ馴れしい表現で気を悪くされる方もいらっしゃるかもしれませんが、できれば温かい目で見守っていただければと思います。これからも素人らしさを大事にしながら頑張っていきますので、どうぞ応援とご協力をよろしくお願いします。

 

2005年11月11日


 

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