伊豫部富治さんが語る おっちゃんとのエピソード


私が映画の録音スタジオから音楽のスタジオに移った1967年、旭さんはすでにスタジオミュージシャンだった。旭さんのホームページの「昔在ったスタジオ」を読んでいると、私がミ キサーとして独り立ちするところから常に、旭さんの気配がただよっていた感じがする。

1967年、テイチク会館スタジオに始まり、ニッポン放送サービス(現在のポニーキャニオン)時代、そして数多くの録音を残したニッポン放送第一スタジオ等々でセッションを重ねていたようだ。この「ようだ」というのは、旭さんには大変申し訳ないのだが、具体的な記憶がない。けれど「昔在ったスタジオ」の中で「放送とは関係ない仕事で行ったことがある」と書かれている。一緒になっている。私はニッポン放送サービス時代からスタジオジプシー。このかたちは自ら望んだ生きかた。

1973年にフリーとなって、さらに旭さんと会う機会は多かったはずだ。私に限って言えば、エンジニアとミュージシャンって、あいさつを除いて普段あまりお話しするチャンスがない。旭さんとは、お互いにホームページを持っているということが切っ掛けで、関係が始まる。こんなに長いながいつき合いだったにも関わらず、つい最近のことなのだ。

かなり古い話で記憶もかなりあやしいのだが、1つ小さなエピソードがある。室内楽のような感じのアンサンブルで、フルートのソロがあった。ディレクターが「ブレスが気になる」と言った。私の「そうですか」と、とぼけた言い方が気に入らなかったのか、ムシの居所がわるかったのか、トゲのある言い方で「マイクセッティングはあれでいいのか」と言った。横にいたアレンジャーが「何も問題ないよ」と、私に味方するような発言をしたのが逆効果となって、調整室があやしげな空気になってしまった。(この時代、こういう凄いディレクターが多かった)

プレイバック時、ミュージシャン全員が調整室に入ってきた。勿論ディレクターに指摘されたことは実行した。それも「マイクロフォンの角度をちょっと…」と、イイカゲンなことではなく、楽器の位置関係など大幅に修正したのだと思う。当然「何事か」と、演奏側は録音側の空気を感じることになる。プレイバック後、誰かの「いい音だ」の一言で、トゲトゲした空気が一変した。その時のフルートが旭さんだった、と記憶しているのだが…。

 

 

伊豫部富治さん(1941年3月15日生まれ)

1964年に日本テレビ技術専門学校(現在の日本工学院専門学校)を卒業後、市ヶ谷スタジオに入社されました。その後、テイチク会館スタジオとニッポン放送サービス(現在のポニーキャニオン)を経て、現在はフリーのレコーディングエンジニア(一般的にはミキサーさんと呼びます)として活躍されてます。



Photo by Megumi Matsumoto

楽器1つ1つの音・全体の響き・録音場所との関係などを、ベテランさんならではの鋭い耳と感覚で捉え、とても生き生きとした音を作られる素晴らしいエンジニアさんです。また、とても優しくて紳士的で、ちょこっとお茶目なところもある素敵な方なんですよ。

詳しくは↓の伊豫部さんのサイトをどうぞ♪

伊豫部富治さんHP

 

 

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