悠木昭宏さんから見た スタジオでのおっちゃん
私がスタジオ仕事を始めたのは、かれこれ26年くらい前ですかね(2004年現在で)。正確には覚えていませんが、学生時代に小林亜星さんの事務所にお世話になり、そこにいた筒井広志さんに編曲をならいました。その頃からチョコチョコとスタジオに顔を出すようになり、スタジオミュージシャンの顔を見始めました。先生の楽譜を見ながら音を聴かせていただいて、楽譜の書き方を勉強していた若き時代です。
そのうちに筒井さんが担当していた、NHKの「お笑いオンステージ」という番組で初めて指揮をさせられて(我々は棒フリと言っています)スタジオミュージシャンを初めて目の前にして、怖〜い思いをしました。いや〜、当時はよくいじめられました。「そんな棒じゃできね〜よ」なんて言われ、とにかく「スタジオミュージシャンは怖い!」というトラウマが、その頃できたのではないかと思っています(ハハハ)。その頃はこちらも若く「たいして巧くもないのに、いばりやがって」と心の中で思いつつ、だんだん溶け込んでいったという訳です。まあ、いま考えるとどっちもどっちですが、下手な人に限って、そういうことを言いたがるものです。
スタジオも、チャンネルがマルチになって倍々で増えていった発展途上の時代でした。何と、おっちゃんはそんな頃からやっています(いやもっと前からでしょう。たぶん…)。私がこの業界に入ったときから、笛といえばおっちゃん、おっちゃんといえば笛でしたから。私は特にミュージシャンの指定はしないので、だまっていても、スケジュールが合う時はおっちゃんでした。その頃のスタジオミュージシャンはまさにバブル時代、都内のスタジオをいくつも掛け持ちで飛び回っていました。といっても、当時スタジオはそんなにはなかった。片手で数えられるくらいでしたね。今はたくさんありますが!!
私の知る限り、おっちゃんは怖いというイメージは全然なくて、何だか頼れる感じの優しい人というイメージがありました。いつもニコニコしていて多くを語らず、要所は締める、という感じです。それは今でも変わりません。そういえば今でも、顔や雰囲気は全然変わっていないという気がしますね。スタジオに入った時におっちゃんがいると、なぜか安心するという悠木昭宏です。
スタジオの仕事は、1回目が音合わせ(譜面チェック)、2回目でリハーサル、3回目には本番を録ってしまうという強行スケジュールです。後は必要な箇所を直していくという、あっという間の1曲仕上がりです。おっちゃんに限らず、みんなすごいですよね。尊敬してしまいます。私は当時まだ学生から抜け出たばかりで、初見が特に苦手だったので、びっくりの連続でした。
アレンジャーは、細かいニュアンスなど書いてる暇はなく、音をみてニュアンスをつけてしまうミュージシャンの技は、超一流です。細かいところは直しますが、ほとんどおまかせです。まあ、音楽のニュアンスはある程度きまっているんですけどね。それを正確に表現できるかどうかは人によります。その辺の決まり事は、いまドレミ楽譜出版ピアノワンダーランドに連載している「ピアノが上手に聞こえる裏技集」というコーナーで書いています。
音楽は不思議と人柄も出るので、おっちゃんの演奏はとても好きです。今も変わらず吹き続けていらっしゃることをうれしく思っています。そしてこれからもずっと吹き続けてほしいと思っています。たまに昔の音源を聞く機会がありますが、おっちゃんの演奏だというのがよくあります。まあ、ほとんどおっちゃんの演奏じゃないでしょうか!
今は打ち込みが多くなって、なかなかお会いする機会がありませんが、生の音をみんなに聴かせたいと、いつも思っています。またそういう時代がくることを祈っています。私も音は生で録るという活動を、いつも宣伝しつつやっていきたいと思っています(そういう仕事が来ないだけかもしれませんが)。最近の若いディレクターは生の音を録ったことがない…なんて時代になっていますが、そんな人たちにも是非、生の音のすばらしさを啓蒙していきたいと思っています。おっちゃんのこれからの活躍を期待しつつ、この辺で・・・・
悠木昭宏さん 小学校の器楽部ではコントラバス、中学・高校のブラスバンド部ではトランペットを担当され、1977年に国立音楽大学リトミック科を卒業されました。 |
卒業直前、現在タケカワユキヒデさんの奥さんから「ESS (大学英語劇連盟)」の77年公演「ヘアー」に誘われ、トランペットで参加されてます。 このときに作曲した前奏曲などが好評を博し、アストロミュージック(小林亜星さんの事務所)に誘われたことがキッカケで、作曲を小林亜星さんに、編曲を筒井広志さんに学ばれたそうです。 |
詳しくは、ぜひ↓の悠木さんのサイトをご覧くださいね♪ |
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