バルトークは過去の偉大な作曲家の曲を研究して学ぶよりも、同世代の作曲家の影響を受けることの方が大きいような人だったそうです。中でも、バルトークより7つ上のアルノルト・シェーンベルクが創始した「12音による無調の音楽」にはとても影響され、そのシェーンベルクのことを尊敬もしていたようです。
「12音による無調の音楽」関連サイト→CLICK(ちょっと難しい…)
シェーンベルクと言えば「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」などのミュージカル音楽を作曲したクロード=ミッシェル・シェーンベルクのことをご存知の方も多いかもしれませんが、この人から見て無調の創始者であるアルノルト・シェーンベルクは「祖父の兄」に当たるんだそうですよ。
で、バルトークは、やがては「民謡には全て調性が存在する」と言ってシェーンベルクの無調の音楽からは離れていくんですが、この弦楽四重奏曲第3番はシェーンベルクの影響を最も強く受けた作品とも言われてるそうです。
この曲を初めて聴かれた方は「…え?」「…は?」と目が点になった方も少なくないんじゃないでしょうか。たった15分くらいの短い曲の中に強烈な不協和音や複雑なリズムがたくさん出てきます。しかも、ただでさえ複雑なリズムなのに、それをパートごとに違うリズムを刻んでいるので、聴いてる方にはさらに複雑に聴こえるわけです。こういう、パートごとに異なるリズムを刻むことを「ポリリズム」というんだそうです。
それから、曲中に「コル・レーニョ」とか「スル・ポンティチェロ」という特殊な奏法が出てくるようです。これを手元にあった音楽辞典で調べてみると、「コル・レーニョ」は「弓の反対側の木の部分で叩くこと」で、「スル・ポンティチェロ」は「駒の近くを弓で擦ること」なんだそうです…が、こんな説明で皆さんはお分かりでしょうか?
私としては「これはもう百聞は一見に如かずだ」と思い、この2つの奏法については実際にやってるところを見せていただくことにしました。どうぞ、ご覧くださいo(^-^)o
田尻さんによる「コル・レーニョ」と「スル・ポンティチェロ」の実演は→
(私が持ってるもう1つのHPに飛びます)
現代音楽の中ではこうした奏法は特に珍しいわけでもないようですが、この時代の弦楽四重奏曲にこういう奏法を取り入れたことは、すごく画期的だったみたいです。
それで余計に私はこの曲を、フランシス=ジャン=マルセル=プーランクなどと並んで、のちのクシシュトフ・ペンデレツキなどへ受け継いでいかれる「現代音楽」の先駆け的な音楽なのかと思ってたんですが、シリウスの解釈は「現代音楽」ではないようです。では、どういう解釈か…ってことになるんですが、ここはもう成田さんにお任せしたいと思います(^^ゞ
以下、成田さんによる「バルトークは現代曲か否か」考察です(^.^)b
バルトークは「現代曲」か否か・・・?実は結構難しい事柄ですよね。
作曲年は1927年。今から80余年も前の作品を「現代」の曲と呼ぶのでしょうか・・・勿論音楽史的には近代から現代への移行期に位置しています。
現代曲の一般的なイメージは、「12音技法の流れの無調音楽」、「変拍子や複雑なリズム」、「旋律が無い」、「とにかくワケがワカラン」等々・・・おそら今回のバルトークもそう言った感想を持たれる素質は充分だと思います。
しかし今やプレイヤーの世界ではバルトークの他、ストラヴィンスキーや武満徹も既にある意味で「古典」と言う様な位置付けがある様に見受けられます。「古典」と言ってもそれは決して「昔の物」とか「古いもの」と言う意味ではありません。もしかするとそれは、プレイヤーにも「現代音楽イコールワケわからん物」と言う悲しむべき固定観念が出来てしまっている事の裏返しから出て来た事かも知れません。つまり「演奏するのも解釈するのも確かに難しいけれど、なんだかワカるから所謂現代曲とは違う」。
最も簡単に質問に答えるとすれば以上の様な事だと思いますが、一寸横道にそれながら補足説明と僕個人が考える事を書きます。
そもそも「現代曲」とか「現代音楽」と言うのは何を指しているのでしょうか?
上記の「ワケわからん」等の様なイメージ、確かにそれらも一つの側面ではありますが、「現代」と言う言葉は普通は「今」とか「最近」の世の中の事を指しますよね。つまり2009年とその周辺数年が私達にとって「今」であり「現代」なワケです(辞書で「現代」と調べるともっときちんと年代の括りがありますが)。と言う事はエグザイルやAKB48も広義では「現代音楽」「現代曲」と言う事になります。ですから、旋律があって調性もあって「ワケわかる」曲でも「現代曲」だったりするのです。
そんなこんなを考えていると「現代音楽」という区分けが不思議な気がして来ます。
一寸違った視点から見ると、実はバッハもハイドンもそれぞれの時代に於いて「現代音楽」と言えるのです。
先に「悲しむべき固定観念」と書きましたが、何が「悲しむべき」かと言うと、バッハやハイドンが「現代」だった頃は今よりもう少し作曲家と演奏者と聴き手の間に共通の「音楽言語」が存在していて、それを共感・共有し合っていたと思われますが、今ではそう言った関係はかなり希薄になっている為に多くのプレイヤー並びに聴き手に固定観念が出来てしまっていることです。
とは言うものの、それも時代の変化による結果かもしれませんから、この先また様々な変化をして行くのだろうと思いますが。
以上、つらつらと書いてみましたが、あくまでも個人的見解ですので・・・
いくら書いても説明不足、言葉足らず、書き忘れている事が沢山ある気がして仕方がないので、これ位で許して下さいまし。
…だそうです♪
余談ですが、バルトークはこの作品を最初のアメリカへの演奏旅行に持っていき、その時に開かれていたフィラデルフィア音楽基金協会主催の作曲コンクールに出品して優勝しています。その優勝賞金3000ドルで、第1次世界大戦後のハンガリーの政治的混乱に巻き込まれたことよる経済的苦境から抜け出した…というエピソードもあるようです。
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