青木 望さんが語る おっちゃんとのエピソード

 

旭さんとのスタジオでのお付き合いが始まったのはもう何十年前だったかしら。
でも、スタジオで会った際の仕事上必要な会話以外、殆どお話をする機会が無く、
いつもニコニコしていらして優しそうな方という印象以外、
私には旭さんに関してお伝えするお話しの持ち合わせがありません。

その昔、「千切っては投げ」ではないけれど、一日に何曲も譜面を書きなぐり、
一日に何カ所ものスタジオをはしごするような時代、何処のスタジオに行っても
フルートの席には必ず旭さんが座っている、そんな頃からのお付き合いだったかしら。
何しろ笛に関する楽器は何でも揃うし、音楽のジャンルを問わず何でもやってくださる、
アレンジャーにとってはすこぶる便利な人と言う感じでありました。

フルートはポピュラーな楽器ですが、私はその中でもアルト・フルートが特に好きで、
仕事でも比較的よく使う楽器の一つです。
昔、ディズニーの「砂漠は生きている」という記録映画で、
砂漠に生息する蛇が砂紋の上を体をくねらせてゆくシーンがあり、
その蛇に合わせて演奏される音楽にアルト・フルートが使われていました。
それがたいへん神秘的な雰囲気を醸し出していて、感動したのを覚えていますが、
それが私のアルト・フルートとの出会いであり、以後、何かというとアルト・フルートに
お出まし願うのが私の音楽の特徴のひとつかも知れません。

そんな音楽を書いている私に「バス・フルートもあるよ」と教えてくれたのが旭さんで、
すっかり嬉しくなって早速バス・フルートを使った譜面を書きました。
そうしたら「コントラバス・フルートもあるけれど」と言うことで、
最後はフルート属だけのアンサンブルを書く羽目になってしまったことがありました。

こう書いてゆくとまるで私がフルートという楽器に精通しているように見えますが、
何を隠そう、私が譜面を書く際の苦手な楽器のひとつはフルートです。
例えばトリルやバッテリーなどで、演奏上不可能なフレーズがあったりするわけですが、
未だにひとつも覚えておらず、スコアを書く際にいちいち楽器図鑑などを調べて
書かねばならず、それが面倒くさいので「エイヤッ」と書きっぱなしにして、
スタジオで旭さんにダメ出しをお願いしてしまう始末です。

要するに旭さんのおかげでフルートが苦手になってしまっているわけでありますが、
「よーく考えよう♪ お金は大事だよ〜♪」じゃありませんが、
振り返ってみれば他の楽器も又しかりで、

結局のところ、私にはスコアを書く資格など無いと言うことなのかもしれません。

以上、「旭さんのおかげで青木望は駄目アレンジャーになった」という説は終わりです。


 

青木 望さん(1931年3月2日生まれ)

当時の東京府立・第六中学校(現在の東京都立・新宿高校)に在学中からヴァイオリンがとてもお上手だった青木さんは、お知り合いに「バンドで演奏してみない?」と誘われ、高校に通いながらバンド活動を始めることになったそうです。でも、だんだんとそのステージ演奏の魅力に摂りつかれ、やがては高校を中退されることになるまでに、青木さんの中で音楽は大きな存在となられたようです。

このころから青木さんはヴァイオリン・ヴィオラ・ドラム・ハモンドオルガン・アコーディオンなどなど…ほんとにたくさんの楽器を弾きこなされてたそうで、高校中退後わずか15歳でプロデビューされたそうですよ。

その後は様々なアーティストのアルバムなどにアレンジャーとして参加され、1972年からはアニメの音楽も手がけられるようになります。代表作としては「銀河鉄道999」「とんがり帽子のメモル」「北斗の拳」「銀河鉄道物語」などがあり、いずれも弦の美しさを最大限に引き出した素晴らしいオーケストレーションで私たちを魅了してくれてます。


こんな大作曲家さんであり、若手の作曲家さんたちからは雲の上の存在のような青木さん。中には「恐れ多くて、とても口なんか聞けないよ…」なんて声も聞こえてきたりするのですが、その素顔はとっても優しく気さくで、ユーモアたっぷりの「おっちゃん(←青木さん、ごめんなさ〜い(^^ゞ)」なんですよ。

作曲家の大島ミチルさんも「物腰が低くて、優しく穏やかで、本当に素敵な人。あの穏やかな感じは、ちょっと旭さんと似てるところがあるかも…?」と、青木さんに対して絶大な信頼を置いてらっしゃるようです。写真にカーソルを乗せると、より素顔に近い、素敵な青木さんのお姿が見えますよ♪

 

 

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