作曲家・青木 望さんインタビュー

 

「笛のおっちゃん」こと旭 孝さんのお仕事レポを通じてお知り合いになった青木 望さん。私がこれまでにお会いできたのは一度だけですが、ときおりメールであたたかく素敵な交流をさせていただいてます。そんな青木さんのことをもっと知りたいなあと思っていたところに、当HPを見てくださった方からも是非にとのお声をいただき、思い切ってインタビューを申し込んでみました。

諸事情により今まで私が行ってきた対面でのインタビューではなく書面でのやりとりですが、これまで明かされてこなかった青木さんの深く彩り豊かな生き様が感じられるものとなってますので、ぜひご覧ください(*^^*)

 

 

幼少期の音楽体験について

 

小さいころから音楽に親しまれていたそうですが、具体的には何歳ごろから音楽に興味を持ちましたか?
また、そのキッカケとなる出来事があれば、教えてください。


祖父の代からクリスチャンの家庭だったため、毎週「家庭礼拝」なるものがあり、母の弾くオルガンに合わせて賛美歌を歌うわけです。その賛美歌が大好きだったことが、私の音楽の原点だったと思っています。

 

ご両親やご兄弟も音楽がお好きだったんでしょうか?
もしご家族との音楽を通じての思い出などありましたら、お聞かせください。

私は4人兄弟の3番目でしたが、楽器に興味を持ったのは私だけで、父の買ってきたヴァイオリンは結局私のものになってしまいました。

母がオルガンも弾けるし、賛美歌の声もよかったので、私にとってはアコガレだったのかも?

 

ヴァイオリンは何歳ごろから始められましたか?
また、数ある楽器の中でなぜヴァイオリンを選ばれたのでしょうか?

ヴァイオリンは家にあったからというだけで、弾いてみたら簡単だったということに尽きます。その頃からピアノも欲しかったし、習うならピアノをと思っていました。

 

そのころ、ソルフェージュや聴音などの基礎訓練も受けられましたか?
教わった先生や当時の思い出などありましたら、合わせてお聞かせください。

基礎的なものは何もありません。

私の従兄弟がヴァイオリンを習っていて、たまたまレッスンについて行ったことがありました。そのとき先生に言われて弾いてみたところ、たいへん褒められて「ぜひ習いに来い」ということで本格的にヴァイオリンのレッスンを始めることになりました。それが中学生のときですから、あまりに遅すぎましたね。

 

ご幼少のころの将来の夢は何でしたか?

小学校時代は軍国主義時代であり、音楽など片隅で小さくなっていたのであまり思い出すことはありません。

 

ご幼少のころによく聴いてらした音楽はどんなものですか?
好きになったキッカケや理由なども合わせてお聞かせください。

最初の質問で答えたことに尽きますが、その理由は音楽的な面でみると「メロディーではなくハーモニーにあった」ということだと思います。日本の歌と違い、4声のハーモニーで書かれた賛美歌の美しさに魅かれたと思います。

 

戦時中はどのように過ごされてたのでしょう?その間、音楽はどうされてましたか?

終戦の半年前に満州(現在の中国東北地方)に転校したのですが、転校したその日に音楽担当教師の葬儀がありました。そこでその教師が作曲したという校歌が歌われ、その素晴らしさに感動しました。

校歌の類はみんな同じようなものですが、全く聴いたことのないようなショックを受けた覚えがあります。そして、その学校はそれ以降、音楽の授業がなくなりました。

 

音楽の勉強について

 

お好きなクラシックの作曲家は誰ですか?
できれば理由や、その作曲家の中でも特に好きな曲名を教えてください。

全部好きです。書ききれません。
ただ強いて挙げるなら、個人的にはJ.S.バッハはとても優秀な作曲家だなあと思います。

 

クラシックの曲を耳コピして勉強したというお話はときどき聞きますが、青木さんもそのようなことをされてましたか?
もしされてたとしたら、誰のどんな曲をコピーされてたのでしょう?

クラシックの場合はスコアが手に入りにくかった戦後の一時期そうしたこともあったかもしれません。でも、私の場合はポピュラー音楽から始めており、レコードのみで楽譜など手に入らない時代の音楽ですから、レコードのコピーは当たり前の作業でした。

 

耳コピされて、どういった発見や感動がありましたか? 

ハーモニーの持つ面白さでしょうか!

 

バンド活動について

 

旧制中学校(現高等学校)でバンド活動を始められたそうですが、そのキッカケは何ですか?
また、どんなジャンルの音楽を演奏されてて、メンバーにはどのような方がいらっしゃいましたか? 

キッカケの1つは、当時演奏されていたアメリカの音楽と、ダンスホールで演奏されていたタンゴなどが大好きだったからですね。

そしてヴァイオリンを必要とする楽団のあらゆるところに行ってました。飽きっぽい性格+好奇心旺盛なため、同じバンドに長く居ることがありませんでした。ですから、バンドのメンバーについても、様々な人が居たとしか言えません。

 

バンド活動を始めてから色んな楽器を演奏されてるようですが、たとえばどんな楽器を演奏されますか?
また、その中で特にお好きな楽器はありますか?

先にお話したような飽きっぽい+好奇心旺盛な性格なので、人の楽器を見ると面白そうだなあと思って手にしてみたという感じでした。それでも、管楽器は性に合いませんでした。

お金を稼いだ順にいうと、ドラム、ヴァイオリン、ヴィオラ、アコーディオン、ハモンドオルガン、チェンバロでしょうか。

中でもヴィオラは、持っている人が少ないのと渋い位置な点が気に入っていましたし、後年で作編曲をやるようになって、たいへん役に立ちました。

 

そのころの思い出を、ぜひお聞かせください。

新宿高校の隣は新宿御苑だったので、高校の窓から隣へ飛び降りて学業を放棄して働いてましたね。当時は昨今のバイト代などと違ってギャラが桁違いによく、楽器さえ持っていれば驚くほど稼げたものでした。

 

作・編曲家のお仕事について

 

ミュージシャンから作・編曲家に転向されたキッカケは何だったんでしょうか?

はじめは自分の所属するバンドのために書いてたのが、だんだんよそ様からも頼まれるようになり、放送やレコーディングが多くなると演奏家より稼げるようになりました。そのころのレコード会社はとにかく何でもレコードさえ作れば売れるという時代で、編曲家は引っ張りだこでした。

 

作・編曲は独学ですか?どなたに師事されてましたか?
もしどなかたに師事されてらしたのなら、その方との出会いや心に強く響いた教えなどをお聞かせください。

理論に関してはヴァイオリンを始めたときから3人くらい先生を変えて学習しましたが、あまり身につきませんでした。

あるとき仲間4人でストリング・カルテットをやることになり、そこへヴィオラで赤堀文雄という人が入りました。私より1つ年上なのですが、秀才で音楽理論にも詳しく、いろいろ教わりました。

彼は後年「新星日本交響楽団」というオーケストラでヴィオラの主席奏者になりましたが、同時にそのオケの編曲の仕事もやり、さらに顧問にもなっていました。私にとって最高の師でしたが、2003年に病で亡くなってしまいました。

 

作・編曲の勉強をされてたころに苦労されたことや、逆に楽しかったことなどをお聞かせください。

昔から楽譜を読むのが楽しくて好きでしたので、耳が悪くなった今でもスコアを読むことは好きでやっています。

 

作・編曲をされるときに、何か楽器を用いられますか?

ここ2〜3年前から難聴がひどくなり、ピアノの音階すらまともに聴こえない有様です。もともと楽器を使わずに楽譜を書いていたので、そのことに関しては問題ないのですが…。

 

劇伴について

 

「銀河鉄道999」や「北斗の拳」など昭和を代表するアニメの劇伴を手がけられてますが、そのころのご苦労や嬉しかったことをお聞かせください。

劇場版「銀河鉄道999」の最後のシーンを書いてたのが朝の5時ごろ。もう眠いし、同じことを繰り返して終わろうかと考えてたのですが、シナリオを読み返して、メーテルのセリフに合わせてもう一踏ん張りしようと考えて転調とTuttiを書いたのが正解でした。たくさんの方から「あのシーンで涙が出る」と言っていただきましたから。

 

2015年4月に東京交響楽団がオペラシティで「組曲 銀河鉄道999」を演奏されてますが、お聴きになりましたか?

その演奏会には「ゲネプロの最初に『999』をやるので来てください」と言われて出かけました。私の耳が悪くなる少し前だったので、とても嬉しかったです。

秋山和慶さんのコンダクトも素晴らしいし、「原曲通りにやりましょう」と言われたのに感激しました。過去に新星日響をはじめ幾つかのオケでも取り上げられたことがあったのですが、その中でもこの演奏会がいちばん心に残っています。

 

最後に…

 

これから音楽の道に進もうとする人たちに、何か伝えたいメッセージなどありますか?

音楽の道も多岐にわたりますから一概には言えませんが、感動を受けたものにトライするのも良いのでは!

 

ご自身の音楽人生を振り返られて、いまお感じになっていることをお聞かせください。

音楽人生…ということでは、よくぞここまでという気もします。

  

 

いかがだったでしょうか?

インタビューを終えたあとの青木さんからは「最初は質問にチャチャッと答えて済ませるつもりだったのですが、質問文を読み返しているうちにこれは容易ならざる事態であると悟りました。それから改めて1問ずつ書き始めたのですが、書いている内容のシーンが脳裏に蘇ってくるような気さえしたことがありました。書き終わってみて、大げさに言えば私の人生を振り返ったような感じもしています。それもこれも、ゆみさんからの誠意と熱意のこもったお便りのたまものだと思っています」なんてお手紙をいただき、目頭が熱くなって胸がいっぱいです。

実は青木さんは10数年前から少し手を傷められてるそうで、現在は文字が描きづらい状態なんだそうです。作曲は「銀河鉄道物語」のあたりからパソコンでされてるそうなので問題はないそうなんですが…。そんな状態の中で私からの質問に1つずつ大事に答えてくださったことに心から感謝です。

青木さんからの回答はほぼ原文のまま載せてありますが、青木さんが大事に書いてくださった直筆の回答は私の大事な大事な宝物となりました。ぜひ多くの方にこのインタビューを読んでいただいて、また新たな気持ちで青木さんの作品を味わっていただけたらなあと思います。

 

2017年11月21日  

 

 

青木 望さん(1931年3月2日生まれ)


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